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公開講座について
冬こそにいがた!~ウィンタースポーツを楽しもう~

公開講座について

講演内容

皆川賢太郎さん
清水久之さん

冬こそにいがた!
~ウィンタースポーツを楽しもう~上越開催

トークセッション1部 皆川賢太郎さん(元アルペン日本代表、プロスキーヤー)
トークセッション2部 皆川さん、清水久之さん(ノルディックスキー選手)
プロフィール


聞き手/野崎孝則・新潟日報社上越支社長兼論説編集委員

  • 日時…2014年11月29日(土) 13:30〜15:00(13:00開場)
  • 会場…デュオ・セレッソ(上越市西城町3-5-20)

 元アルペン日本代表で、プロスキーヤーの皆川賢太郎さんと、54歳の今も現役で活躍するスキー・ノルディックの清水久之さん(妙高市)を迎えて、冬期スポーツの選手育成と観光活用をテーマに、トークセッションを開きました。

採録

トーク1 皆川賢太郎さん(元アルペン日本代表・プロスキーヤー)
トーク2 皆川さん、清水久之さん(ノルディックスキー選手)
聞き手/野崎孝則(新潟日報社上越支社長兼論説編集委員)


◆ まずは皆川さんとスキーの出会いから教えてください。
皆川 競輪選手だった父親が、苗場スキー場で宿を経営するというのが夢で、僕はそこで生まれました。スキーを始めたのは3歳のときです。当時の苗場スキー場は多くのお客さんが来ていたので、学校が終わってから行くと全コースがコブ斜面になっていて、そこを滑るのが遊びでした。
◆ オリンピックを意識したのはいつ頃ですか。
皆川 明確に意識したのは長野五輪の開催が決定したときです。大人たちが作り上げてくれた環境と、自分の未来への動機がリンクしたと思います。
◆ オリンピックに4度出場し、トリノ五輪では4位という成績でした。当時を振り返ってどんなことを思い出しますか。
皆川 長野とソルトレーク五輪のときは、みなさんの求めるものに応えたい、自分ならできるという思いで出場しましたが、トリノとバンクーバー五輪のときは等身大の人間として競技にのぞむというか、シンプルな気持ちで出場できました。トリノのときは、2002年にけがをしてベッドから歩くことから始め、そこからの4年間があって4位という成績が出た。人はその数字を見て悔しいと思うかもしれませんが、僕は全然悔しくなかった。それよりも戻ってこられたという充実感のほうが高い大会でした。
◆ 左膝、右膝と、2度も大きなけがを乗り越えてこられましたが、けがとの向き合い方も含めて、現役生活の中で得たものとは何でしょう。
皆川 1回目のけがのときに、自分が商品でなくなった瞬間というのを感じました。実際にスポンサーも全部離れ、経済難にもなりましたが、自分自身を見つめ直す機会でもありました。今振り返ると、仮に金メダリストになって、ファンの人たちの自分に対する評価が彩っていたとしても、たぶん今の自分ほどいろいろなことが分かっていなかった。五輪で4位でも現役生活をまっとうできたのは、たぶんけががあったからだと思います。
◆ 長年海外に遠征されていて、感じたことはありますか。
皆川 20年間、毎年200日以上海外で生活し、世界中のスキー場もたくさん見てきました。そこで分かったのは、世界中で自然に雪が降る地域は非常に限られていているということです。これは日本にとって一つの資源。観光立国を目指す上でも、雪というのは大きな要素になると思いました。
◆ 今後のビジョンを教えてください。
皆川 これから40歳になるまでの3年間は、全日本スキー技術選手権大会に選手として参戦し、「観せるスキー」を習得したいと思っています。そして、今まで日本というのは国から補助金をもらってスポーツをやるというのが基本的な概念でしたが、今後は各業界主体でユーザーとともに予算を作っていくという作業が必要だと思うんです。そういうことに対しても力を使いたいと今は思っています。
◆ 2016年に湯沢町で開催される、アルペンスキーワールドカップの実行委員会副会長にも就任されましたね。
皆川 今回の大会を県民のみなさん、特に子どもたちに見てほしいです。僕は子どもの頃、「オリンピック選手になるのは無理」とか、周りからたくさん言われてきました。それでも「自分はオリンピック選手になるんだ」という目標を子どもの頃から持てたことが、今の自分を形成しています。雪の降る地域に住む子どもたちだからこそ、刺激になるもの、自分の人生の動機になるものを感じてほしいと思います。


◆ ここでもう一人のゲスト、ノルディック複合で国体に38年連続出場中の清水久之さんにご登場いただきます。清水さんは「国体の鉄人」という異名をお持ちですが、今でも選手を続けていられる体力、気力を保つ秘訣は何ですか。
清水 とにかくスキーが大好きという気持ちが、私を動かしていると思います。そして20年ほど市の職員として、ジュニアスキー専任の指導をしているということ。子どもたちを教えながら、一緒に練習してこられたというのも、長く続けられた理由です。
◆ 清水さんは「妙高ジャンプチーム」の代表も務め、子どもたちの指導を長くされていますが、どういう指導方針なのですか。
清水 褒めて褒めて、褒めちぎる。怒られるとやる気も出てこないので、とにかく褒めて、それからワンポイントアドバイスしてあげると、聞き入れてもらえるケースが多いですね。
◆ スキーというのは行政、企業、一般の方々の理解とか応援というのが求められると思います。皆川さんはスキーの先進的な国と日本では、どういうところが違うと思いましたか。
皆川 ウィンター産業が非常に多く、スキーがメジャースポーツになっているのはオーストリアとスイスです。隣国からスキーを習いに来る人も多いので、教える立場の人たちが多いという点が日本とは大きく違うと思います。また、オーストリアやスイスは観光客も増えている。スポーツという象徴を持ちながら、自分たちの地域に何が必要かというのをよくわかっている国だと思います。
◆ スポーツを盛り上げつつ観光の裾野を広げ、それを循環させてゆく仕組みになっているわけですね。清水さんは、選手のためにこんな支援をしてほしいというのはありますか。
清水 やはりスポーツなので、応援してもらうことが選手の励みになります。子どもたちが一生懸命練習している姿を見に来てもらったり、競技中に応援したり、まずはジャンプに興味を持ってもらうことが、これから選手を増やすためにも必要だと思います。
◆ ソチ五輪で礼留飛さんが活躍されて、ジュニア選手にも好影響があったのでは。
清水 礼留飛がメダルを取ってから、ジャンプを始めたいという子どもが増えて、私たちも指導のしがいがあります。
◆ 将来に向けて、新潟のスキー産業をどのように盛り上げていけばいいのでしょうか。
皆川 まずは新潟を選んでもらうことが重要です。そのために最初にやるべきことは、言葉のインフラを整えることだと思います。スキー場、駅、街の案内板などに英語、中国語、韓国語などを表記するといった言葉のインフラを用意すれば、外国人にとって新潟が価値のある場所になります。また長期ビジョンとしては、インドアスキー場を作り、ジャンプをはじめスキーを観るスポーツにして興業化していきたい。新潟はそれができるエリアだと思っています。
清水 妙高市では競技面やお客様の受け入れも含めて、行政と民間、地元の人たちが一つになって取り組んでいます。例えば皆川さんが言われたように、看板などを英語表記にするとか、隣接するスキー場で共通のリフト券を使えるようにするとか、各地のスキー場を結ぶバスを無料で出すとか、いろいろな企画をしています。今後もお客様に、新潟のいろいろなスキー場を楽しんでもらうことが必要です。

◆ では、最後にメッセージをお願いします。
皆川 重要なのは、地元の人たちがピントを合わせて一緒に進んで行くことです。今日の話で何らかの刺激を受けたり、ヒントになっていただけたら嬉しいですし、僕もスキーというウィンター産業をもっと勉強していきたいと思っています。雪かきは大変ですけど、雪を愛していただいて、一緒に明るい未来を思ってくれると嬉しいです。
清水 ソチ五輪で礼留飛がメダルを取った際には、たくさんの人に応援していただきありがとうございました。実は私は彼から学んだことがあります。それはオンとオフのスイッチの切り替えをしっかりすると、いい結果が出るということです。これからもオンとオフのスイッチをうまく入れながら、スキーを介して地域とともに生きていきたいと思っています。
※最後には、会場のみなさんからゲストへの質問コーナーも。トリノ五輪の際のアクシデントや、トレーニング方法とスキー技術についてなどの質問をはじめ、スキー選手や大会について、もっとメディアで取り上げてほしいといった提言もありました。
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